しかし以前から自身の好物であったラーメンに興味を抱き、「ブームに左右されない本当に
美味しいラーメンを作りたい」との想いでラーメンへと事業を転向した山岡氏。
現在の山岡家ラーメンの原型となる、豚骨をじっくり煮込んだスープを持って、憧れの北海道、
そしてラーメンの本場であり激戦区である「ラーメンの街・札幌」に進出。
平成5年には6店舗だった「山岡家」を全国で77店舗(平成18年末現在)までに増やした。
そして平成18年2月、ラーメン単一業態では北海道初の株式上場をジャスダックにて果たす。
山岡家が北海道の外食産業に与えた影響は大きい。
「全ての人々に、ラーメンで美味しさと笑顔を味わっていただきたい。」
山岡家の挑戦は一杯のラーメン作りから始まり、ラーメンを愛する全ての人々のために、
これからも続いていく。
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【ゼロからの挑戦!!自分の味を求めて〜研究に研究を重ねた試行錯誤の日々】
--------ご出身はどちらですか?
>>山岡氏
土佐の高知県です。坂本竜馬が生まれたところですが、
何もないところですね(笑)。
漫画家で、クイズダービーで有名なはらたいらさんと同じ高校でしたよ。
--------始めの起業はお弁当屋ということですが、その以前はどういったお仕事をされていたのですか?
>>山岡氏
最初の就職は北海道の帯広で自衛隊を3年半位やっていました。
高校の時に何度か北海道に来ていて、北海道が好きで、住みたいと思っていました。
「北海道に住むなら自衛隊に就職だ!」と思って、自衛隊に入隊しました。
入隊して3年ほど経った頃、東京でサンドイッチ屋をやっていた高校時代の先輩から、
2店舗目を出すので手伝って欲しいと頼まれました。お世話になっている先輩でしたし、
自衛隊にずっといるつもりもありませんでしたから、自衛隊を辞めてその先輩のお店を
手伝うことにしました。
--------せっかく憧れの北海道に来たのに、東京に行くことに抵抗はなかったですか?
>>山岡氏
イヤでしたけれど、いろいろなことをもっと勉強しなければいけないと思いました。
私はもともと中学・高校時代から人に命令されるのが嫌いで、「人の下では働けない」、「自分で商売するしか道は無いだろう」と子供の頃から思っていました。
そうであれば、どこかで勉強しなければいけないと思っていましたから、サンドイッチ屋は本来やりたいことではなかったですが、商売の勉強のためだと思って引き受けました。
そしていつか自分で商売をやるのであれば、そのためにお金を貯めなくちゃいけないという考えもありましたから。
サンドイッチ屋を手伝い始めて1年ほど経った頃、先輩がサンドイッチ屋を止めて、弁当屋を始めたんですよ。
サンドイッチも売れてはいましたが、競争が激しくなり、売上も落ちていきましたから。
そんな時に出会ったのが、「ほっかほっか亭」でした。
ほっかほっか亭は今でこそもの凄い店舗数ですが、当時は10店舗程度しかなかったんですよね。創業の頃で、かなり勢いで伸びていました。
「これはいいんじゃないか」と先輩と話し、早速フランチャイズに入りました。
開店から飛ぶように売れていきましたよ。
安くて美味しいですからね。温かいご飯を詰めるというのが当時は凄い発想でしたよ。
先輩のところで2年ほど経験したあと、お金も溜まったので同じ弁当屋を自分でも独立して始めたのですが、そのすぐ後です!
同形態の弁当屋の競合が増え続け、当時はにょきにょきと雨後の竹の子のように弁当屋がでてきました。競争があっという間に激化しました。
その当時は全国規模のフランチャイズ店が何十社と生まれましたから。
--------そこでラーメンへ転向するわけですね。
>>山岡氏
やはり、弁当屋の競争が激しくなり、売上も年々落ちてくる。
実際のところ仕入れも払えるかどうかという位、大変な状況になったこともありました。
これだけ競争が激しくなるとこれはもう先が見えない、違う商売を考えなくてはまずいと思い、
他の業態を模索し始めました。
そんな想いで、日々歩き回り、調べ回りしているうちに、ラーメンがいいのではないかと思いました。
僕自身もラーメンが大好きでしたし、ラーメンが嫌いな人はほとんどいない、大人から子供までみんな食べるものである、と。
ファンがついてくれれば、必ず一定のペースで食べに来てくれる!ラーメンならいけるのではないか!!と考えました。
--------ラーメン屋をやる!ラーメンを作っていこう!と思った時、まず何から始めたのですか?やはり食べ歩きですか?
>>山岡氏
そうですね。やはり食べ歩きからですね。
今のうちのラーメンと開店当時のラーメンとは全く違うんですよ。
現在は豚骨を使った白湯スープをやっていますけど、その当時は鶏がらを使った
いわゆる清湯スープというものだったんです。
当時は透明なスープで面も細く、昔の中華そばみたいなイメージですかね。
そういうラーメンだったんですよ。
全くのラーメン素人でしたから、右も左も訳もわからないままのスタートですよ。
--------自分の納得するラーメンになるまでは、かなり試行錯誤を繰り返されたと思います。
>>山岡氏
そうですね。開店当時から現在までお付き合いしている麺屋さんに、
何かいい情報はないかと尋ねて、当時の東京の繁盛店を何件か教えてもらいました。
そして社員と一緒にそのお店を食べ歩きして回りました。
そうすると、当時繁盛している店は、豚骨でこってりしたものが多かったんですよね。
10件繁盛店があったとしたら、その内の7店くらいが豚骨でした。
豚骨独特の風味と濃厚な味わいは一度ハマると癖になるんですよね。
それで、「あぁ豚骨だな!!」と思いました。
それからはガラッと変えて、麺も豚骨に合うように太く変えたり、と試行錯誤しながら
徐々に今の味になっていきました。
ですから、当時は日替わりスープですよ(笑)。日々、実験でしたから。
お客様は非常に迷惑されたんじゃないでしょうかね。「昨日と今日の味違うじゃない!」と(笑)。
--------毎日味を変えて、試験的に出されていたのですね。
>>山岡氏
そうですね。普通は研究室などがあってそこで開発していくんでしょうが、私は営業しながらでしたからね。お客様に試食させながらでしたので、今考えれば申し訳ないですよね(笑)。
おかげで、ダイレクトに反応を見たり、お客様の声を聞きながら開発には取組むことができたのですが。
--------「これだ!」と思える味に仕上がるまでは数年以上掛かり、ノイローゼ気味になったこともあったということですね。
>>山岡氏
そうですね。いろいろやりながら今の味になるのに数年くらい掛かっていますね。
ノイローゼ気味になったのは醤油ダレを作る時ですね。
ラーメンというのはどういうスープを作るのか?豚骨なのか、鶏がらなのか、あるいは魚介類なのかと種類がありますが、どういうスープを作るかによってタレも決まってきます。
順番にすると、スープ→たれ→麺→具なんですよね。
タレもスープ以上にいろいろ試行錯誤していったのですが、味を見すぎて舌がおかしくなりましたね(笑)。夜もうなされましたよ。
スープ、麺もそうですが、中でも一番苦労したのが醤油ダレです。
--------数えられない程のパターンを作りましたね?
>>山岡氏
そうですね。やはり、何も無いところから創り上げる、無から有を作るというのは本当に大変なことですよね。発明ってすごいことだなと改めて思いますね。
ある物をアレンジしたり、変えていくというのはそれほど難しいことではないですが、全く存在しないものをゼロから産み出すという事ほど難しい行為はないのではないでしょうか。
--------「これだ!」と思った瞬間は覚えていますか?
>>山岡氏
「これだ!」という決定的な瞬間というのはなかったのです。
「これでお客さんにちょっと出してみようか」ということで、お客さんの反応を見ながら徐々に変えていくやり方でしたから。
今うちでは4日間煮込ませながらやっていますが、当時は2日だったので、何かコクが足りないなと思い、3日間おいたらだいぶコクが出てきました。
それならば4日間置いてみようということになり、さらに良くなった。次は5日間やってみたら今度は骨の臭みが出てきてダメだったんですね。それで4日間おくことを発見しました。
そういうことの繰り返しだったんです。
その他にも、鶏がらを入れてみたり、煮干を入れてみたり、あるいは野菜を入れてみたり、背油を使ってみたり…。いろいろな工夫を実験しました。
そうこうするうちに、ある程度簡単で、味がぶれずに美味しい作り方を見つけ、次第に現在のかたちに落ち着いていったのです。
--------今の味で落ち着いたのはいつ頃ですか?
>>山岡氏
それはチェーン展開を始めてからですね。自分ひとりでやっているうちは試行錯誤の連続でした。
でも店を増やすにあたって、味を統一させ、ばらばらの味にならないように仕組み化していきました。味は落とさずに、より簡単に、より安定したスープを出せるようにしました。
【大好きな北海道で暮らしたい 〜 ラーメンの本場札幌に進出!】
-------その後、札幌に出てきた理由というのはやはり北海道にこだわりがあったからですか?
>>山岡氏
そうです。その時はもう「北海道に住みたい」という思いだけでしたね。北海道にどんどん店を出そうという風には全く思っていなかったです。
ただ北海道で生活したかった。その為には生活費を稼がなければいけない。ということになると、私にはラーメンしかない。
ラーメンには自信があったんですよね。茨城の牛久からスタートしたこの味を持っていけば札幌でも問題はないだろうと信じていました。
--------いざ札幌に出店して、当初の反応はどうでしたか?
>>山岡氏
最初は苦労しましたね。ススキノに1号店を出したのですが、最初は売上がらなかったですよ。
今考えたら場所も悪かったんでしょうね(笑)。駅前通から離れた人通りの少ない通りでしたし。
赤字だったのですが、とりあえずお店を出そう!ということで、狸小路1丁目のところに2号店を出しました。そこからですよ。お客さんがたくさん入り始めたのは。
新聞・雑誌・ラジオの取材依頼がどんどんきて、実はここは2号店で、ススキノにも1号店があることが知れてくると、そちらも売れるようになっていきました。
それから3号店、4号店と着実に増え、年に2、3店舗ペースで出店することが出来ました。
今現在出は(平成18年12月末現在)は77店舗にまでなりました。
--------全て直営でやられていますよね。それはやはり味を維持していきたいという事なのでしょうか?
>>山岡氏
そうです。
フランチャイズは考えていません。味を大切にしたいという気持ちは当然です。スープも必ず1店1店手作りで作っていますから。
それと雇用を確保したいという思いもあります。一つの会社としての雇用の面で、社会貢献したいとも思っています。
--------そして昨年2月にはジャスダック上場を果たされました。
>>山岡氏
10年くらい前までは全く考えていませんでしたけれど。
上場を意識し出したのは、5年ほど前でしょうか。お店が着実に増えてきた時期に考え始めました。
お店も増えてきた、社員も増えてきた。そうすると社員が活躍する場所を与えてあげなければならない。将来的に生活の安定も図らなくてはいけない。
色々なことを考えると、メリットは大きいだろうと判断しました。上場するということは社会にも認められるということですし、会社もきちんとしていなければ認められないわけですから。
世間一般の信用を得ている、社会から認められる会社である、ということは働く社員にとって良いことだと思いました。
--------上場して会社は変わりましたか?
>>山岡氏
昔と比べたら変わったと思いますよ。昔はそれこそパパママストアの延長線上だったのですが、徐々に会社らしくなってきている感じはありますよね。
組織や制度、仕組みができてきて、たくさんの人材も入ってきました。
しかし、やはり世間に対する責任は重いな、と改めて思っています。
株主の皆様に対してもやはり責任があります。株主の皆様に損をさせないのが私達の責任でもありますし、義務ですからね。
休む暇はないですよ(笑)。
--------社長として重圧は大きくなったでしょうね。
>>山岡氏
そうですね。
でも、うちが上場を果たしたことで、札幌の外食産業の刺激にはなったみたいですね。
「あの山岡家が上場できたのだからうちにもできる!」ということだと思うんですけど(笑)。勇気が湧いたみたいですよ。そういう意味では地域貢献しましたね(笑)。
うちに刺激されて、上場を果たす札幌の飲食店が出てくればこんな嬉しいことはないですよね。札幌、そして北海道の活性化に繋がりますよね。
それも北海道に、社会に貢献したということになるのではないでしょうか。
--------北海道出身の上場会社もいろいろとあるのですが、その後本社を首都圏に移す会社も多いですね。
>>山岡氏
そうでしょうね。結局、うちみたいなサービス業、そして流通業などで活躍されている企業さんも多いのですが、出店するところがなくなってくるんですよね。そうなると東京、全国に出ていくしかない。
しかし、うちはあくまでも本社は札幌ということで貫くつもりです。
今は山岡家一本ですが、またラーメンとは違った業態で札幌に新たなお店を出せるといいなとも思っています。
--------今後会社としての夢はありますか??
>>山岡氏
やはり一番上を目指したいですよね。全国に店舗を出したいです。全国の人に食べさせたい、食べてもらいたいという強い想いがあります。
--------どの業界でもそうだと思いますが、特に外食サービス業は人材の育成が最重要課題の一つだと思います。山岡社長は、社員教育で1番大切なことはどのようなことだと考えていますか?
>>山岡氏
今のうちは過渡期だと思っているのです。もう1ランクも2ランクも社員のレベルを上げていかないと、今後の向上に繋がっていかないと思いますね。
人材育成というのは非常に大事です。特に現在は、5店舗〜10店舗くらいの時とはわけが違いますから、マネージメント能力というものを持った人材が必要になってきます。
管理能力を持てるように育てていかなければいけないという必要性を感じますよね。
今いる社員、店長を含めて、来年は1ランクも2ランクも上げられるようにしっかり教育していきたいと思っています。
社員にとっても、それがやりがいに繋がると思いますし、幸せに繋がっていけばいいですよね。店長がレベルを上げないことには、これから入ってくる人もレベルが上がらないですから。
これから入ってくる人の目標になるような人をたくさん育てていきたいですね。
社員みんながやりがいの持てる、夢のある会社にしたいですね。
そうすればもっともっと伸びていけると思います。
【目標は絶対に達成するもの!夢は達成へ向うもの! 〜 目標と夢の両方を持って!!】
--------生まれは高知ということですが、北海道に住みたいと思った理由を教えてください。
>>山岡氏
私は暑いのにめっきり弱いんですよ(笑)。高知に居る時は湿気もひどく、夏は暑いのがイヤで早く出たかったですね。
北海道は気候が私に合っているのです(笑)。
それから、北海道は広々としていて、ごみごみしていないというところも好きです。
高知から北海道に来たときは地平線にびっくりしました。今でこそ慣れましたが最初は本当に感動しましたね。
空港を降りて、移動する時に見た景色に「なんだ、これは!」とびっくりしました。
その雄大さに憧れましたね。
--------実際に住んでみて憧れとのギャップはなかったですか?
>>山岡氏
全くないですね。寒いのも、雪も平気です!
北海道は大好きです!
--------求職者や転職を考えている方、学生の方に社長の求める人材像をお聞かせいただければと思います。
>>山岡氏
自分の道は自分で切り拓くものだと思っています。
やる気がある人、上を目指す人はいいですね。
やる気と夢がある人がうちに来ていただければ、自分の将来を自分の力で切り開ける会社だと思っていますよ。
--------最後に若者に対しては何かメッセージはありますか?ニート・フリーターは大きな社会問題になっています。
>>山岡氏
日本の少子化の問題が盛んに言われていますよね。2050年には人口が8千万人になると。そうなると日本の国力というのは本当に弱るじゃないですか。
そうならないためにも、早くに結婚できる体制が整えばいいですよね。フリーターだと収入が安定しないので、結婚が難しいですよね。しっかり働いて、お金を稼いで、結婚して子どもを作って、社会に貢献して頂きたいなと思います。
今の若い人達が将来の日本を背負うわけですから。
そしてクラーク博士の言葉で『ボーイズ・ビー・アンビシャス』という言葉がありますが、目標と夢を持って欲しいですね。
目標は毎日コツコツとしていかなければ達成できないですが、絶対に達成すべきものです。
夢はまだまだ達成には遠いものかもしれないですが、そこに向っていくべきものです。
その両方を持って頑張って欲しいですね。
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★取材を終えて
「うちは創業してから25年ほど経っていますが、まだまだ創業期だと思っています。
本当に小さい会社ですから、山岡家はこれから伸びていく会社です。」と話す
山岡氏からは謙虚な姿勢と目指す志の大きさを感じた。
「これからも必ず全国各店のオープンの際には新入社員の激励とスープをチェックしに
店舗に足を運びます。」「新しいお客様に山岡家のラーメンを食べて頂き、
『ごちそうさま!』というお客様の声を聞くことが一番の喜びです。」という言葉からも、
山岡氏の徹底した味へのこだわり、社員を家族のように大切に思う心、
そして「ラーメンでお客様を喜ばせたい」という強い想いを感じた。
その山岡氏の強い想い、優しい笑顔と温かな対応。そこに山岡家のラーメンで
体も心も芯から温まる理由がある気がした。
今後も山岡家は社名の通り、「家」=アットホームな雰囲気の中にも、仕事に対する
熱意と厳しさを同居させた店舗経営を目指す。
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★関連ウェブサイト
株式会社 丸千代山岡家
http://www.yamaokaya.com/
山岡氏 インタビュー
http://www.yamaokaya.com/company/greeting2.html