イノベーターズモード presented by キャリナビ北海道

File No23

株式会社 プリズム
代表取締役社長 深津 修一 氏

「知る人ぞ知る、熱い存在です。」
今回のイノベーター=株式会社プリズムの深津氏を紹介してくれた方の言葉だ。

実際に取材を進めるにつれ、「熱い存在」という言葉の意味を深く理解することになる。
徹底的に「やりたいこと」にこだわる情熱、日本のショービジネス・エンターテイメントへの問題意識、そして目指すべき理想の北海道・札幌へのビジョン…。

どの言葉をとってもその端々から伺える強い意志と情熱は、「熱い存在」と紹介された通り、いや想像していた以上の「熱を持った」イノベーターであった。

「誰もやったことのないこと」に挑戦を続けるイノベーターは、
「札幌は、アート・カルチャーの面で世界の先進地になり得る」と熱く提言する。

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【僕のやりたいことは、「誰もやって来なかったこと」。】

--------まずは深津社長の取り組まれている事業について教えてください。 >>深津氏


僕のコンセプトは「誰もやらなかったことしかやらない。」です。
現在取り組んでいることの例で言えば、8月に行なわれる「ザ・レジェンド・オブ・カンフー」というカンフー・ミュージカル。
これは中国と北米で150万人以上が見た人気のミュージカルなのですが、「日本で公演するにあたってコンセプトを変えた方がいい」と北京まで提案に乗り込みました。
「お前達がそこまで言うのならどうしたいか見せてくれ」と言う訳で、今年の1月15日に札幌の教育文化会館で映像と音響を使った演出のプレゼンをしました。幸い彼らは気に入ってくれて、うちが「制作協力」という形で演出プロデュースをすることになりました。
8月から来年の4月まで日本の主要都市をツアーして、そこである程度評価されればそのままワールド・ツアーにも出ることになっています。


それから今年7月21日から8月5日までの「サッポロ・シティ・ジャズ」という札幌のジャズ・フェスティバル。
来年には世界的に有名なカナダのモントリオール・ジャズ・フェスティバルと姉妹提携を結ぶ運びになっているイベントです。
ここでうちは、直系27メートルの巨大なドーム型のテントを設置します。
そのテントの生地はスクリーンになっていて、全周の映像をそこに写すことができます。しかも中からだけではなく、テントの外側からも映像を見ることができるという特殊な構造になっているもので、そのテントの中でジャズのライヴを行なう、というね。
これも日本では初のことです。


--------プリズムのメイン事業というのはイベント・プロデュースなのですか? >>深津氏


プリズム自体のビジネス・モデルとしては映像機器のレンタルです。
しかし、ただ貸し出しを行なっているだけではなくて、その機器を使用するためのイベントを自ら企画、提案して動かしていくというスタンスです。
「このイベントはこうした方が絶対良くなるから!」ということをどんどん提案していく。
そのためにはこの映像機器が絶対必要だからって感じで説得します。

基本的には、自分たちがやりたいことをやっているんです。
その「やりたいこと」と言うのは、「誰もやって来なかったこと」。
そのために「プラウ」という別会社を最近立ち上げました。
「レジェンド・オブ・カンフー」の制作協力は、プラウで行なっています。

自分たちのやりたいこと、誰もやらなかったことに挑戦していって、
その結果、付随して必要になる機器を貸し出して収益を上げているという感じです(笑)。

やりたいことから派生した副産物で収益が上がるというのは、こんな幸せなことはないですよね!
収益を考えずに、やりたいことだけやっていると「ただの馬鹿」と言われてしまいますから(笑)、それを両立させるべく、もちろん努力はしています。

おかげさまで、設立してから12年間、ずっと赤字になることなく右肩上がりでやってこれました。
それも社員を搾取してきたわけではなくて、福利厚生も含めて、社員にはきちんと還元してきていますから、うちはこの業界の中では札幌で一番条件がいいはずです。

こうして自分たちのやりたことをやりながら、利益を上げていきたい。
そして地域貢献もしていきたい。
それが僕の考え方です。


【シンディー・ローパーがきっかけでの起業 〜 映画漬けの半生を経て「本当にやりたいエンターテイメント」を志して】

--------深津社長の出身は北海道ですか? >>深津氏


生まれは愛知県です。北海道に憧れて北大に進学し、そのまま住み着いてしまいました。


--------大学卒業後は? >>深津氏


大学2年の時に「自分は映画の世界で生きていく」と決意したのですが、当時、大手の映画会社というのはどこも採用をしていませんでした。
ちょうどビデオが普及し始めて、映画業界全体が下火の時代でしたから。
そんな中で見つけたドキュメンタリー番組を中心に作っている東京の制作会社が、「どうせみんな続かなくてすぐ辞めていくから、来たいなら来てもいいよ。」と。
「1年のうちの半分以上は海外で、しかも辺境だよ。体力には自信ある?」なんて言われましてね(笑)。

結局、まずはアルバイトで内定をもらったので、意気揚々と東京まで先に荷物を送りました。
しかし、東京に出発する当日の朝です!いきなり「大きな仕事を逃したから採用できない。」と!
衝撃ですよね。もう荷物は先に東京に送ってしまっていますし。
生まれて初めて目の前が真っ暗になりましたよ(笑)。
それからどうしたのか記憶が残ってないくらいショックでした。
とりあえず千歳空港までは行ったことは覚えています。
気がついたら空港でしばらくボーっとしていました(笑)。

その夜は知人の家に事情を話して泊めてもらって、次の日、結局東京まで行きました。
荷物は行ってしまっていますから、どうしようもなかったですよ(笑)。


--------また一から就職活動ですか? >>深津氏


とりあえずバイトを探しました。食っていかなきゃいけないですからね。
アルバイト情報誌を買って、日給6000円という当時では一番条件のいいバイトを見つけたので、そこに訪ねていきました。
仕事は、「お茶売り」でした。スーパーの店頭でお茶を売るんです。

それを4ヶ月やりました。月に20日間バイトで、後は映画ばかり観ていました。
まともに就職活動はしませんでしたね。
結構、バイトの成績がよくて目立っていたので、いい条件でのスカウトもあったんですよ。
当時の初任給としては破格の条件で「社員にならないか」って話もあったのですが、興味のない話だったので、全部断って愛知の実家に帰ることにしました。

そして、就職する気もないし、何もすることもないから海外青年協力隊にでも入って海外に行こうと本気で考えました。
だから大学時代の友達に別れを告げるために札幌まで来たんです。

すると、大学時代に僕が自主上映会をやらせてもらっていた喫茶店のオーナーが、フィルムのレンタルをする映画会社を作っていたのです。
スタッフもいないから、僕を札幌に呼び戻そうと思っていたらしいのです。
すごいタイミングでした。

結局、僕はそこで雇ってもらって、起業するまでの18年間勤めていました。
給料は安く、ボーナスもありませんでしたけどね(笑)。


--------起業されたきっかけはあるのですか? >>深津氏


シンディー・ローパーのジャパン・ツアーが今から13年前にありました。
初日が札幌だったのですが、ショーの前日に急に「映像を使うから来てくれ」と呼び出されたのです。
何をやるのかと思ったら、「シンディーの胸にフィルムの映像を写してくれ」って言うんですね。それも客席中央にあるPA卓の後ろからですから、30m以上離れた位置からです。物理的に無理なわけですよ。
だから、ステージのすぐ前まで行かせてもらって、そこから斜めにシンディーの胸に映像を写すことに変更してもらいました。
なんとか本番をこなすと、ショーが終った後に外人スタッフから「君の仕事は完璧だ!このまま日本ツアーについて来てくれ。」と言われたのです。

僕は次の日も別の仕事が入っていたので、そのまますぐに同行するわけにはいかなかったのですが、結局、数日後の横浜公演からツアーに合流しました。
すると、映像を使うシーンが札幌では1曲だけだったのに、6曲に増えているんです(笑)。
でも6曲やるには、どうしても映像が足りなかったので、逆回しなどの編集を重ねて、なんとか6曲分の映像を作りました。ショーの当日ですよ(笑)。

そんなこんなでなんとかシンディーのジャパン・ツアーを一緒に回って、そこで初めて思ったのです。
「あぁ、映画以外にもこんなに面白いエンターテイメントの世界があるんだ。」って。

それから半年後にはプリズムを立ち上げていました。
41歳でした。


--------ショービズ、エンターテイメントに関わる会社を札幌で立ち上げるのは難しいとは思われませんでしたか? >>深津氏


もちろん僕がやりたいような仕事は全部東京で動いているんですけど、会社は札幌に作りました。
それは「いつか必ず札幌で僕のやりたいことをやる」という夢を持っていたからです。
現在も、東京が主導で仕事は動いていますけど、その想いは変わりません。

会社を作って5年後には東京に支社も作りましたので、コンサート・イベントの仕事は結構手がけていますよ。

今年はケミストリーのツアーもやりましたし、森山直太朗もそうです。吉田拓郎、ゆず、サザン、浜崎あゆみ、B’zなどかなりのアーティストと仕事をしてきました。
コンサートだけではなく、世界的なマジシャンであるセロのステージに使用する映像もうちが手がけました。
サブカル系では、みうらじゅん、清水ミチコ…。

会社を起こして今年で12年目になりますけど、札幌に本社を置きながらそこまで持っていけたということは、自分なりに評価しています。


--------設立当初に苦労されたこともあったと思います。 >>深津氏


最初は苦労の連続ですよ(笑)。
会社を起こしたはいいけど、金は一銭もないわけです。

しかも設立1ヶ月目で、妻が「リンパ癌の疑いがあるから」と言われて緊急入院してしまったのです。
「手術して調べるから、4時間経っても出てこない場合は覚悟してください。」と言われました。
それが4時間経っても、5時間経っても、一向に手術室から出てこないわけですよ!
会社を作ったばかり、お金もない、子供は小さい、その上、妻を失ったら俺はどうすればいいんだ、と!
幸いにして、良性の腫瘍だったので助かったんですけど、その時はまた目の前が真っ暗になりました(笑)。

妻は助かりましたけど、後はお金ですよね。
結局、人づてで紹介してもらった金融機関の人から道庁の独立開業支援の融資制度を教えてもらったり、また別の金融機関の人には熱くビジョンと事業計画を語った結果、「信用するから」ということで快く映写機を買うのに必要なお金を出してもらえたり・・・。

それでなんとか設立時の苦境を乗り切りました。
それからは、会社は順調に動き出しましたね。


--------設立時のつらい時期に社長を支えたもの何ですか? >>深津氏


何でしょうね。プラス思考の性格はあると思います。
常に最悪のパターンは考えていましたけど、「どんなに最悪なことになっても、必ず道はあるから」ってプラス思考でいることは心がけていました。


--------苦境を乗り切ってからは、創業から12年、右肩上がりに成長を続けて来られた要因は何だと考えていますか? >>深津氏


取引してくれている人を裏切ったことはないからじゃないでしょうか。
周りの人たちも僕のことは「やると言ったことはやる人間」だと思ってくれていると思います。そういう信用はあると自負しています。

前の会社に勤めている頃から付き合ってきた方たちも「あいつが困っているなら助けてやろう」ってことで仕事を優先的に回してくれたりしました。
僕は営業に回ったことは一度もないんですよ。
「こんな仕事があるけど、やらないか?」って電話をくれたりする方が周りにたくさんいて、随分助けられてきましたね。

それから、自分の意見をはっきりと主張してきたことが一つの差別化になったとも思っています。
例えば、浜崎あゆみのドームツアーなんかでも感じたのですけど、「これじゃダメだ!」と。
ショー自体の構成も含めて、全体の作り方が全然クリエイティヴじゃないんですよ。
「こんなことをしていると日本のショービズがダメになる」と思って、プロダクションの上層部の人たちにもはっきり言っちゃうんです。「ダメですよ、こんなショーなんか。」って(笑)。
そういうことをどんどん主張していくから、もちろん怒らせて仕事を蹴られたりすることもあるけど、同じ問題意識を持っている人っていっぱいいるわけです。
そういう人たちとは深い繋がりもできてきて、自然と差別化されてきたんですね。
自分の意見を言うこと自体が、営業活動の代わりになってきた。
そう思っています。


【札幌を「世界のアート、カルチャーの先進地」に! 〜 ポテンシャルを秘めた北の大地への熱き提言】

--------耳の痛いことでも言ってくれる人の大切さと言うのは、心ある人は理解してくれますよね! >>深津氏


そうです。
そうしているうちに、やっぱり自分の主張を発信していくのは大切なことだと強く思うようになりました。
だから、ここ4,5年はいたる所で、北海道や札幌についての提言ばかりしています(笑)。


問題は北海道、札幌というのは凄いポテンシャルを持っていて、歴史的に培ってきたものも十分あるのに、それに対して道民があまりに無自覚だということです。

北海道は経済的には日本の中で低迷していますけど、自分の武器をうまく使えばもっともっとよくなる。
「日本の北海道」ではなく「世界の北海道」と言えるところまで行けると思うんです。

北海道のことを本気で考えて、面白いこと、新しいことをやろうとしている人もどんどん出てきている。
でも行政が、政治がなかなか変わらない。だから即効性も出ないんですよ。

道庁の意識を変えるには、道民の意識も変えなきゃいけない。
どちらが先かは矛盾する問題ですけれど、どちらにせよ本気で取り組まなければならないと思っています。

僕が「プラウ」という新しい会社を作ったのは、「不可能だと思われていることだって可能なんだ!札幌にいながらにして世界レベルの仕事だってできるんだ!」ってことを実証してやろうって思ったからです。


先ほども言いましたが、「日本の北海道」ではなくて「世界の北海道」という視点で考えると、ビジネスのラインだってたくさん見えてきます。
だからわざわざ北京まで行ったりするわけです。

「北海道はこうあるべきだ」って提言を受け入れてもらうためには実績を作るしかないですよね。今、僕はそのために仕事をしています。

北海道、札幌の目指すべき姿、ビジョンを明確に描いて、それに向けて進んでいかないと!
「今は苦しい、その上、将来良くなるイメージも抱けない」
それって人間にとって一番不幸なことですよ。
一番幸せなことって、着実にステップ・アップしていけること。
しかもそれが自分ひとりではなくて、周囲と一緒にステップ・アップしていけること。
その中で自分の役割を実感できて、お互いに尊敬と信頼の中で成長していける環境にいること。

これが本当に幸せなことだと僕は思うのです。

北海道、札幌がそうなるには、リーダーシップを執るべき人間が明確なビジョンを打ち出さなきゃいけない。
でも現実はそうじゃない。
知事も市長も何も言ってくれない。政治家も、誰も彼も明確なビジョンが見えない。

僕なんかはこういうことをすべき人間ではないかも知れないけど、誰も言わないなら、僕が石を投げて、それに反応してくれる人間がどれくらいいるのかを見たい。
そう思っています。
それを続けていけば、必ず何かが広がっていくと信じていますよ。


--------深津社長の感じる「活かしきれていない札幌のポテンシャル」とは具体的にどのような部分でしょう? >>深津氏


例えばイサム・ノグチの最後の作品、モエレ沼公園。
あれは世界的に見ても、もの凄い遺産ですよ。

それから中島公園にあるKitara。
あれも世界的に見て飛びぬけて素晴らしい音響設備を持っている。
去年、ベルリン・フィルが来日の打診を受けた時に、「Kitaraで演奏させること」って条件を出して、来日を受けたんですよ。それくらい素晴らしい設備なのです。

Kitaraを中心に行なわれているPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)は、世界的指揮者であるバーンスタインが死ぬ間際に後進の育成に力を入れようとしたイベントです。

言って見れば、イサム・ノグチとバーンスタイン、世界的な2人のアーティストの最後の作品が札幌にある。

でも多くの札幌市民はその事実すら知らない。
その過程にあるドラマなんてもっと知らない。

それから札幌ドームというグランドが稼働するという珍しいドームがあって、芸術の森という独自の空間があって…。

この規模の街としては異例に文化的な施設が揃っています。
でもそれが有機的に繋がっていなくて、点と点でしかないんですよ。

さらに、観光という点で見ると、四季のメリハリが凄くはっきりしている。
冬は雪が積もるけど、ウィンター・スポーツの観点で言えば雪質は世界最高だと言われています。
気候も過ごしやすく、街は綺麗。食べ物が圧倒的に美味しい!これだけ美味しいものを安く食べられる街は、おそらく世界的に見てもほとんどないはずです。
そして男からすると、女性が綺麗(笑)!

挙げていくとキリがないんですよ。
観光地として世界中に誇れるものが山ほどあるんです。

僕は外国人といっぱい仕事をしてきました。
みんな東京、大阪、京都と日本中の街を回るけど「札幌が一番いい。札幌なら住んでもいい!」って言ってくれるのです。
それは素晴らしいことですよ。


--------深津社長の描く理想の札幌像のようなものはありますか? >>深津氏


この札幌の素晴らしいところを適確にPRして、もっと札幌に人を招き入れることです。
それは観光ということだけではなくて、先ほど言ったような文化的な面をもっともっとPRして、「アーティストたちが住む街」にしたいと僕は思います。

そのためにも僕の大きな夢としては、札幌に「世界で一番の芸術学校」を創りたい!

アメリカのバークレー音楽院もそうですけど、そういう学校ができると世界中から人が集まってくるわけです。
世界最高の教授陣を集めるのに、10億や20億かかったにしたところで、その価値を考えるとたいした金額じゃないですよ。

世界中から芸術を志す若者が集まって、彼らが国に帰って、また札幌のことを広めてくれる。その口コミ効果たるや凄いものがありますよ。

学校だけではありません。
札幌の街全体をアート空間にして、その上、外国人にもっと門戸を開いた雰囲気にできれば、間違いなくもっともっと世界中から札幌に人が来ますよ。

例えばホテルが足りないなら、一人暮らし・夫婦暮らしのお年寄りの家にホームステイしてもらう。
市も積極的に英語や中国語などの外国語の教室を開いて、みんなが片言でもいいから外国語を話せる街にする。

「お年寄りまでみんなが英語や中国語を話せる街」なんてことが実現できたら、そんな街は日本で唯一になるでしょう?

そんなのたいしたお金はかからないんですよ。
意識と考え方の問題だけです。

だから僕はそうしたことを言い続けて、また会社としてもできる限りのことで貢献し続けていきたい!
そうすれば、必ず札幌は変わっていくって楽観視しています。
ほんの少しのアイディアと気持ちで、札幌は無限に良くなる街だと本気で思うのです!


--------きのとやの長沼社長も「札幌に世界で一番の製菓学校を作りたい」とおっしゃっていました。 >>深津氏


そうですね。
文化と教育こそが一番大切なのです。
確かに時間はかかります。でも、文化と教育に投資を続ければ、間違いなく良くなっていくし、絶対に発展します。
そこを疎かにして目先の利益だけに投資していくと、絶対に疲弊していきますよ。

だから長期的な文化・教育の面と、短期的な利益の面。その両方に有効な投資の仕方を考える必要があるのです。
こんなこと話すと「政治家になった方がいい」なんて言われちゃうんですけど(笑)。

先ほども言いましたけど、こうしたことに発言権を持つためにも、誰もやったことのないことを成功させて実績を作っていきたいと思っているんです。


--------わかりました。熱い提言ありがとうございました!
最後に、イノベーターから若者へメッセージをもらうことにしています。
学生時代から「映画」という熱中できるものがあり、今も目標を持って熱く生きてらっしゃる深津社長から、「やりたいことが見つからない」という若者へメッセージをお願いします。
>>深津氏


就職とか云々じゃなくて、「自分がどう生きたいか」ということを真剣に悩んで考え続けるしかないんですよ。いつもね。
目先の「いい企業に入る」とかそんなことではなくて、「どう生きたいか」です。
「自分はどう生きたら幸せなのか」ということを徹底的に悩んで考えていくしかないですよ。

考えていない人は、結局流されていくしかないんです。自分のしっかりとした土台がないから。
だから、どこまでも「どう生きたいか」「どう生きたら幸せか」を考え続けること。
どこかで曖昧にしてしまわずに、自分の人生を追求してください!


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★取材を終えて

深津氏の「熱さ」の源泉は問題意識だ。
そして問題意識のさらに奥には「愛情」がある。
映画、映像、エンターテイメント、そして北海道、札幌…。

人は、物事を好きになればなるほど、こだわりが出てくる。
こだわればこだわるほど、自身の理想とする姿と現状とのギャップに問題意識を抱く。
問題意識が大きくなればなるほど、苦言や主張を発せずにはいられない。

そこで、苦言と主張だけに終るか、理想のために「行動」を伴うか。
これが大事をなす人物と「評論家」に終る人物の差ではないだろうか。

深津氏は、自分の理想を追求するために常に「行動」を続けている。
そして、それこそが「熱さ」を周囲に感じさせる要因だ。
言葉だけの人物から「熱さ」を感じることは決してないのだ。

「この出会い(我々との出会い)も、北海道のために行動しているからこそでしょうから。」深津氏はそう言ってくれた。

我々も「熱」を発し、人と社会を少しでも動かしていける存在となれれば、と強く思う。

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★関連ウェブサイト

株式会社プリズム
http://www.eizou.com/

株式会社プリズム 映画事業部
http://www.eizou.com/movies/top.php

株式会社プラウ
http://www.plow.jp/

ザ・レジェンド・オブ・カンフー
http://chunyi-kungfu.jp/

サッポロ・シティ・ジャズ
http://www.sapporo-cityjazz.com/

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