イノベーターズモード presented by キャリナビ北海道

File No26

エスクローリアルエステート株式会社
代表取締役社長 柳澤 宏 氏

2001年の設立以来、札幌を拠点とした不動産コンサルティングサービスを展開する エスクローリアルエステート。
従来のイメージを覆す高級賃貸マンション事業に参入。

住宅設備の一つ一つにオリジナリティを追及し、分譲マンションと同等のクオリティを実現することで、旧来の仮住まい的イメージを払拭する、居住者が我が家として心地よく住むことができる賃貸マンションを提供。

駅に近い一等地しか扱わない。洗練されたハイグレードなマンションしか創らない。 札幌の一番いい場所に、一番素敵なマンションを創ること。そして札幌の事にかけては、世界で一番の不動産会社になることを目指す。

代表の柳澤 宏氏は、札幌をもっと素敵な街にしたい。もっと賑やかな街にしたい。と、まるで札幌市長のような目線で街づくりを提案していく。

不動産業を通して夢を追い続ける柳澤氏にこれまでの歩みや札幌の魅力を聞いた。

*********************************************************************

【客観的データから柳澤理論の確立! 〜 与えられたハードルを次々とクリア!】

--------ご出身はどちらですか? >>柳澤氏


出身は東京で、赤羽という町で育ちました。
東京の大学を卒業して、転勤がないと言われて入社した住友不動産で、
まさかの札幌配属になり、思わぬ形で札幌に来ることになりました。


--------住友不動産に入社された理由というのは? >>柳澤氏


もともとは外交官を志望していたのですが、途中で外交官を諦めました。
小学校の時から政治家になりたいと思っていたんですよ。
「頑張った人が報われる社会を作りたい!」と小さな頃から思っていました。
政治家になるためには実績が必要だろうということで、そのためにまず、全国に無数にある商店街をうまく活性化するような町づくりの方式を組み立てて、それを柳澤方式として売り込み、名前を広く売って政界に出よう!というもくろみを持っていたんです(笑)。


--------では、そのために就職先として考えたのが不動産業だったのですか? >>柳澤氏


そうですね。
町づくりにも繋がるのですが、当時はショッピングセンターやテーマパークを作りたいと思っていましたので、実は東京ディズニーランドなどを手掛けている三井不動産に入社したいと考えていました。

住友不動産はあまり志望していなかった会社だったのですが(笑)、たまたま同級生が面接に行くから付き合ってと言われて一緒に行ったら、友人は落ちて僕が受かってしまいました。何社か内定を頂いた中から、町づくりができる可能性がある会社という事で住友不動産を選びました。


--------「努力が報われる社会を作りたい」「町づくりをしたい」と思われたのは何かきっかけがあったのですか? >>柳澤氏


僕が育った赤羽という町は、赤羽戦争と言われるくらいスーパーの激戦区だったんですよね。イトーヨーカドーの1号店があったり、ダイエーが東日本進出の第一号店を作ったり。大手スーパーが次々進出して、地元の商店街ともの凄くもめている。そんな商店街の象徴的な町だったんです。結果的には、両者が共生するモデルを赤羽方式として確立していきましたが。
僕の友だちも地元商店の子どもが多くて、商店街が廃れ、生活が苦しくなっていく。そんな様子を目の当たりにしていたので、町を活性化できるような仕事がしたいと思ったのかもしれません。


--------住友不動産に入社されてからはどのようなお仕事をされていたのですか? >>柳澤氏


入社して直ぐに札幌支店に配属されました。札幌に決まった時は辞めようかなとも考えたのですが、一回行ってみないとわからないし、と(笑)。

僕が就職活動をしていた時期はバブルのピークの時期でしたが、就職したその年にバブルが崩壊して、不動産業界が芳しくない状況になっていったんですよね。

就職した年に不動産に対する融資の総量規制が布かれて、不動産業界にお金が流れ込まなくなるという、どん底の時期に就職したと言う状態でした。

そのため新規物件の開発事業が全く無い状態で、在庫の整理と言う状態から入りました。
最初の一年間は人の来ないマンションのモデルルームに行き、一人でマンションを売らされていました。
当然全然売れませんでしたね(笑)。でもそんな中、何とか頑張って完売しました。
僕が売っていたのは宮の森の物件なのですが、億ションのくせに道が狭くてベンツも通れないというような最悪の場所(笑)。
最初の一年はそういう状況でしたが、次第に状況も良くなり、会社も堅調に新規事業を再開していきました。入社した時は6、7人でやっていた小さな支店が、そこから飛ぶ鳥を落とす勢いで成長しました。
人も3倍、4倍になり、それまで札幌でマンションの年間供給戸数のベスト10にも入っていなかった会社がいきなりダントツの1位と、一気に伸びていきました。


--------急速に伸びたのは何故ですか? >>柳澤氏


その時の支店長が凄くやり手で、その支店長の力もあります。
それまで、マンションはそれ程商品性や間取りプランっていうのを考えていなかったんですよね。
旧態依然としたものを提供していたのですが、間取りも含めて細部にまでこだわったマンションを提供し、どんどん改善していったことで、強みが生まれたんです。

そこで学んだことは、商品性というものをきちんと見極めたものを造らなければいけないということと、そのようにして造った商品を高く売るということ。
僕は今でもそれにこだわっていて、個人的に「高売りの美学」みたいなものを持っています。
一番高く売るために、一番いいものを、一番いい商品を、と言う風に工夫していくことで物が良くなり、結局はそれが売り手にも買い手にも、皆のためになると思っています。
そういう考え方を根本的に学んだのが住友不動産でしたし、当時の札幌支店長に指導してもらったことが凄く貴重な経験だったと思っています。


--------では住友不動産を退職して独立するきっかけは? >>柳澤氏


サラリーマンとして数字と実績が上がってくるようになると、会社に自分の目標を求めるのが難しくなってきたのです。

サラリーマン時代は支店長にハードルを置かれ、それを順番に超えていくと、次々とハードルを上げてもらいました。
一年目は売れそうもないマンションを売ること(笑)。
その次は近隣交渉。建設地の周辺の方たちの反対をどうクリアするかという精神的にも難しい仕事です。
それもうまくこなせるようになると、次に与えられたハードルが用地買収という仕事。
というように、設定されたハードルを一つずつ越えてきて、一つずつ成長して来られたんですね。その後は、クレーム処理もこなしました。クレームを処理することで信頼してもらう。

入社三年目には、当時は異例だと言われましたが、土地を見つけて所有者の方と交渉し、その土地を買い…というように一連のプロジェクトを一人で任されるようになりました。


--------ハードルを次々と越えることができた理由は何だったのでしょうか? >>柳澤氏


当時はあまり考えないで、がむしゃらにやってきたというだけですが、一つ言えるのは、「誠意を尽くしてきた」ということは言えるかもしれません。
今でもこだわってやっていることがあって、それは必ず、お世話になったら、御礼状を書くということです。

マンションの営業をしていた時は、モデルルームに来ていただいたお客様に必ず御礼状を書いていました。
電話をしてガチャっと切られると、ショックが大きいんですよね。
それで自分を傷つけない為に、御礼状でフォローしていたという本音もありますけど(笑)。

近隣交渉の時も、反対している方に当然嫌なことを言いに行かないといけないんですけど、御礼状を書いて誠意を示しておくと、次の対応であまりきつく言われることはないんですよね。

御礼状を書くというのは一例ですけど、とにかく物事を上手く進めたい時は、誠意を尽くすということを心がけてやってきました。


それから、精神的な部分以外で言えば、「客観的に人を説得する」ということをいつも意識しながらやってきたことじゃないかと思います。

入社したばかりの頃は、経験で先輩たちに物を言われて反論できずに悔しい思いをすることが誰でもあると思うんですよね。
経験がない人は、経験でものを言う人を説得するのが難しい。
僕はそれをするには客観的なデータでしかないと思ったんです。
ですから、もの凄くマーケティングに力を入れて、マンションはどこでどう売れるかというのを徹底的に調べました。「今までこうやってきたんだから」という経験論に反論するために、誰よりも札幌市内のマンションに関するデータに詳しくなって、誰も反論できないくらいに資料集めをしました。

過去のデータを全部調べて、どこの地域ではいくらで売れているのだから、ここの地域ではこれくらいであれば売れるはずだという仮説を作り、理論化しました。
そうするとそれが凄くうけて、住友系の会社の支店長たちの集まる席で発表しろと言われました。
それから、どこに説明・提案に行くにも、同様のデータ資料に基く分析を提示して、人を説得してきました。社内では「柳澤理論」と呼ばれていましたよ(笑)。
その努力を続けることによって、僕が言う事に対して誰も経験で反論しなくなったんですね。
正しい事を言えば、意見が通るようになりました。

そうなってくると、人から与えられる目標っていうのが、つまらなくなってくる。
自分で自分にハードルを置かないとつまらなくなってくるんですよ。

ですから、会社員の最後の数年間は「駅の隣しか探さない!」とか、「駅から2分までの土地しかやらない」というこだわりを持って、自分のモチベーションを維持していました。
でもそれにも限界があってつまらなくなってしまったんですね。目標がなくなってしまって。

そんな時、異業種交流会で道内の若手経営者たちとお付き合いさせていただく内に、「自分で目標を設定していくのであれば、サラリーマンとしては限界がある。それならば自分で事業をして、自分で目標を限界なく上げていった方がいい」と思い始めました。
それが起業の理由です。

それから、会社にいる限り、マンション以外造れないということに限界も感じていました。
マンションには向かない土地にもマンションを造らなければならない。それよりも、その土地にあったお店やオフィスやビルを造りたい。そういう気持ちも起業を後押ししました。


【新しいジャンルの第三の商品を! 〜 「高売りの美学」を引き下げての起業!】

--------独立してからはどのような仕事をされていたのですか? >>柳澤氏


最初はその当時流行っていたコーポラティブ住宅というものに取り組みました。
住宅購入を考えている人たちが集まって共同で計画し、設計、工事を発注するという形態ですが、なかなか上手くいかなかった。

それでもサラリーマン時代の人脈があったので、仕事はいろいろと頼まれて、ビルの企画、店舗プロデュースなどをしながら、なんとか食べてはいけました。

ただ、そんな「何でもやります」と言うのは、プロフェッショナルじゃないのではないかという気がしてきたんです。

そこで原点回帰じゃないですけど、やはり一番得意なのはマンションなんじゃないかと。何でも屋は辞めて、一番得意なことに専念した方がいいのではないかと思いました。
そこで事務所を今の場所=オフィス街の真ん中に移したんですよね。


--------マンションに特化することを決められてからは、どのようにビジネスを展開していったのですか? >>柳澤氏


とにかく自分を高く売りたい、商品を高く売りたい、ということをいつも徹底的に考えていたので、マンションに特化しようと思った時も考えは変わりませんでした。
自分を高く売れるビジネスのやり方とは?と考えた時に、僕は転勤で札幌に来たので、札幌のことをよくわかっている東京出身者という売り方がいいんじゃないかと思ったのです。

ずっと札幌にいたわけではないので、冷めた目で札幌を見ることができる。
それは東京の人たちが札幌を見る感覚に近く、その上で札幌のことを詳しくわかっているということです。

そんな姿勢を根底に持って、当時ちょっとずつ出てきていた投資として不動産を持つ方たちに対応するような賃貸マンションを作ることを柱としてやっていきました。
そこから段々規模が大きくなってきて、東京でファンドと言われているものや投資家さんからお金を集めたものを全国に投資するという流れが出てきたので、だったら道内の投資家さんに売っているもののサイズを大きくして、東京の人たちに売却するのがいいんじゃないかなと思ってやったのが、軌道に乗ってきたんですね。


--------北海道の土地を買って売るという難しさはありませんでしたか? >>柳澤氏


なくはないですよね。やっぱりサラリーマン時代に大変だったのは、いつか東京に戻る奴なんだろう!と思われていたことですね。
そう思われているうちは真剣に話を聞いてくれないんですよね。
北海道はよそ者を受け入れるという凄くいい風土にも関らず、最後の最後にはやはり土着しないとなかなか入っていけないというのがあり、苦労しました。

初めの頃は遠距離恋愛をしていたこともあるんですけど、休みの度に東京に帰っていましたからね(笑)。
休みの日に帰るっていうのは見られていますから。地元の方にしてみたらちょっと面白くないわけですよ。
それが遠距離恋愛が終わったせいもあり、ずっとこっちにいるようになると、東京への未練もなくなって(笑)。
その頃から札幌に定住したいと言う気持ちになり、札幌に居ようと決めたのはある程度独立することを考えた時からですね。

それから、僕にとって影響が大きかったのが※拓銀破綻だったんですね。
東京から預金を集めて北海道に投資する。このパイプがなくなるっていうことがどれだけ凄い事かって言うのを近くで見ていてよくわかっていました。

ですから、本州や世界から札幌にお金を持ってこないと、このままじゃマズイのではないかというのがあって。
異業種交流会でもそういう話をしていて、札幌に問題意識を持っている人たちは誰もが考えていたことなので、東京の投資家向けに賃貸マンションを売る仕事だと、札幌にお金を持って来ることができると思ったんです。


--------なるほど。では賃貸マンション事業についてお聞きしたいのですが、賃貸では珍しい高級マンションを提供していますね。なぜ賃貸で高級マンションを? >>柳澤氏


分譲マンションを作ってきた人間からすると、分譲マンションと賃貸マンションの違いがあまりにもありすぎて。「賃貸だから。」という言葉が蔓延していますからね。


賃貸マンションだと隣の人の音がうるさいんじゃないかとか、床が薄いんじゃないかとか、そういうイメージがあるし、実際にそうだと思うんですよね。

そこを変えていくだけで、需要は出てくると思っています。
年功序列で所得が増えていけば、買ったあともローンを返済していけるでしょうけど、今の時代、給料が変動費になっているのに家の支払いだけ固定にするのはどうかと思ったんですよね。

例えば営業職の方で、もの凄く成績が上がっている時は高級マンションに住んで、今年はきついなと思ったら、少し郊外の安いところに住む、というように住宅も変動費にするという考え方もあるかと思います。
それを進めていく為には分譲と賃貸の差をなくして、まず意識を変えなきゃだめだろうなと思いました。


家を探す人も「賃貸だから・・・」と諦めるのではなく、作り手も「賃貸だからいやだったら引っ越せばいい」という意識をなくせば、分譲と今までの従来の賃貸とは別の新しいジャンルの第三の商品が作れるんじゃないかと。
賃貸マンションでも、住む人のステータスと社会的信用が高まるものをやってみようと思ったのです。


--------賃貸マンションのイメージを払拭するのは難しいと思いますが、その戦略や方法はどうされているのですか? >>柳澤氏


従来の賃貸マンションとの一番の違いは、建築主の都合で建てないという事です。
普通はコストを押さえるために、洗面化粧台やキッチンは量産品のものを使用していますが、僕らはオリジナルにしています。
寸法も一番多く出るものが安いのですが、それがその部屋に合うかと言うのは別ですから、
窓にしてもドアにしても、天井が高い部屋であれば、従来の寸法よりももうちょっと大きなドアをつけて、かっこ良いものにする。
そういったところを差別化して、細部にこだわり、全部オリジナルにしています。
それから、モデルルームを作ったり、魅力的なパンフレットを作ったり、分譲マンションであれば当たり前にやっていることをやるようにしました。
インターネットのホームページも物件ごとに作り、情報を見られるようにしたり、モデルルームには小物まで置いて実際に住むイメージを掴んでもらったりしています。
場所も円山地区を中心にし、地下鉄駅の側という戦略は譲らないようにしています。


【夢は札幌市長! 〜 目指すのは300万人都市の誰もが住みたいと思う街!】

--------では柳澤社長の考える札幌・北海道の魅力と言うのはどういうところですか? >>柳澤氏


やはり観光で一番人気があり、都市規模もほどほどで、文化・スポーツ施設が適度に整っていて、なおかつ、自然環境が整っているということです。食糧自給量も高いし、インフラは整っています。
最近冗談半分で言っているのは温暖化が進んでも札幌は熱帯にならないということです(笑)。

それから、歴史が浅い分、急激に人口が増え続けてきた町で、未来を考えてもしばらく札幌は人口が増え続けるだろうという事です。
札幌の人口はこの30年で倍増しているんですよね。
逆にそれが経済の弱さにもつながっていて、人口増に対応するビジネスしか成長してきていないということがあります。
建設業者の数や、ハウスメーカーの数の多さがそれを表しています。また、人口一人当りの美容室の数、クリーニング屋の数は全国で一番なので家のそばにあるビジネスっていうのはたくさんあるんですよね。
ですから、逆に言えば人口が増え続けなきゃ景気が悪くなってしまう。一定規模までは人口を増やし続けなければならない町なんだと思います。

そうは言いながら、この町の弱さは人口密度の低さです。同じ140万人いる福岡は小さいところに集中していますから。
札幌でビジネスを行なう時、200万の人口が集まっていると思ってビジネスをやると失敗すると思っています。中心部には100万人しかいないと思ってやらないといけないと思います。


--------柳澤社長の今後目指すものや夢はありますか? >>柳澤氏


目標は40歳代で(今、39歳です。)に札幌市長になることです!経済人で札幌市長になるのは初ですよね。
今の時代は、ビジネスや経営感覚がない市長じゃないと難しいんじゃないかなと思っています。

そして、「遊びに行きたい町、札幌」ではなく、遊びに来た人が「住みたい町、札幌」と思う街にして、人口を増やしたいですね。
その為には職場と家だと思うんですよね。
仕事があって魅力的な町であれば人は増えます!札幌を300万人にはしたいですし、それだけのポテンシャルのある町だと思っています。

そういう意味で言うと、小さい頃からの「町づくりをしたい」という夢は変わってないですね。
その先の夢は恥ずかしいですけど、札幌で成功できたら、それを日本でやりたいですね。
その先は自ずと世界を一つにという、世界平和になるわけです!夢は大きく、ですね(笑)。
子どもの頃から変わらずに平和主義者ですから(笑)。


--------最後に、現在フリーターやニートなど社会的に大きな問題になっています。
「やりたいことがわからない。」「好きなことが見つからない。」と就職しない、就職できない若者が増えてきています。そういった方たちにメッセージをお願いします。
>>柳澤氏


僕は「好きこそものの上手なれ」ではなくて、「上手になれば好きになる」と思っています。
僕もマンションを造るなんて夢にも思わなかったですし、別にやりたいことではなかったけど、やっているうちに上手にできるようになってきているわけですよ。
正直札幌も好きだったわけじゃないんですけど(笑)、冷めて見ているといいところも見えてきて、段々好きになってくるんですよね。
本当に上手になれば好きになるというか、うまくなってくると好きになってくるんだろうなと僕は思っています。
一生懸命お客さんに尽くして、上手く出来るようになったら、段々そのこと自体が面白くなる。
初めから得意なものをやれる人なんていないし、初めから好きなものを見つけられる人なんていない。
ただやっぱり、目の前にあるものを一生懸命やっていれば、段々好きになって楽しくなってくるんじゃないのかなと思います。
やっているうちに楽しくなる!僕もそうでしたからね。


*******************************************************************

★取材を終えて

「我以外皆我師也」 =「私以外は全員が先生である。」柳澤氏が社訓として大切にしている言葉である。
日々他から学び成長し、それを返していく。
人が集まり、和を作り、自然とその中でお互いが磨かれ、成長していく。それが原動力だと語った柳澤氏。

そんな柳澤氏が構想する札幌の町に、同じ考えを持つたくさんの人々が集えば、氏が理想とする真に価値のある賑やかな町に変わっていくだろうと、氏と同じ夢に想いを馳せた。

*******************************************************************

★関連ウェブサイト

エスクローリアルエステート株式会社
http://www.escrow-realestate.com/

柳沢社長のブログ「不動産屋のひとりごと」
http://ameblo.jp/yanagee/


▼HOME  ▼IsMとは  ▼インタビュー  ▼ご意見・ご感想   ▼運営会社  ▼プレスリリース  ▼北海道の求人情報  ▼札幌の求人情報